今から10年ほど前。
大学1回生の頃、姫路駅で、見たこともないビール瓶を栓抜き無しで開けようとしている、異国のおっさんと出会った。
おっさんは一生懸命素手で開けようとしているが、一向に開く気配がない。
タンクトップにジーパンという恰好で、自転車には山ほど荷物が載っている。
極めて怪しい。
しばらくその様子を見ていたが、瓶のふたが開くことはなかった。
当時、ビール瓶を素手で開けることがかっこいいと思っており、常日頃訓練を欠かさなかった私は、見かねておっさんからビール瓶を奪うと、近くのコンクリートの花壇を使って開けてやった。
ようやく飲めるようになったぬるい瓶ビールを、おっさんに差し出すと、おっさんは受け取らない。
満面の笑みで、【飲んでいいよ】的なジェスチャーをしている。
こんな見たこともないぬるいビール飲めるかよ。
と思いながら一口飲んだ。
美味かった。
多分おっさんにも、私が美味いと思ったことが伝わったのだろう。
満足げ気だ。
おっさんの話す言葉は、英語でも、ドイツ語でも、フランス語でもない。
聞いたことも無い言語だった。
なんとなくのボディーランゲージで【家においでよ!もっと珍しい酒がいっぱいあるから】的なことを言っているのはくみ取れた。
正直、すこぶる恐ろしかった。
言葉も通じない異国の男の家にこれから単身乗り込もうとしている。
麻薬でも売りつけられるんじゃないか?
まよっていると、ある男の言葉が浮かんだ。
【因果は巡る善と悪】
今生で起きることは前世の原因の結果によるという教えだ。
自分の前世の行いを信じることにした。
行ってみよう。
おっさんについていくことにした。
しばらく歩くと、おっさんの家についた。
想像していたのとは違い、立派な一軒家だった。
5LDKといったところか。
巨大な業務用の冷蔵庫がたくさん並んでいた。
おっさんは私の正面に座ると、一冊の本を手渡した。
日本人向けのトルコ語の本だった。
おっさんはトルコ人だった。
それからしばらく、日本人向けのトルコ語の本と、トルコ人向けの日本語の本を介して、いろんな話をした。
おっさんの名前はナビサミミ。
トルコ料理屋でコックをしているそうだ。
家族もなく、単身日本に来て、とても寂しかったこと。
私が話しかけてくれたことが、どれだけ嬉しかったかを教えてくれた。
私も、正直ヤクの売人だと思ったことを伝えた。
あまりウケなかった。
部屋中の巨大な業務用冷蔵庫は、店で提供している食材や酒を保管しているそうだ。
良く分からない酒を、たくさん飲んだ。
日本酒に、おっさん特製のジャムを入れて台無しにした酒も。
ジャムをお土産にもらって、ナビの働いているレストランで、食事をする約束をして、帰った。
数日後、ナビから電話がかかってきた。
しかし、我々のコミュニケーションを実現してくれた、例の本がない。
ナビは英語も日本語も全く分からない。
ボディーランゲージも使えない。
待ち合わせの約束は、日時だけ。
どこに行ったらいいのかも、わからなかった。
結局それ以来、私が姫路を去るまで、ナビと再び会うことはなかった。
なんとも、後味の良くない。
ぬるいビールのような思いを心の奥でずっと感じていた。

あれから十年。

つい先日。
私のLINEに、友達かも?で、ナビサミミの名前が出てきた。
あれから何台機種変更を繰り返し、しまいにはスマートフォンになっても、なぜかナビの電話番号を消せずにいたのだ。
LINEが再び私たちをつないでくれた。
感激した。
LINEって、インターネットって、コンピューターって、こんなに粋な奴だったなんて!!
なんと素晴らしい業界で仕事をさせてもらっているのかと、改めて嬉しくなった。
週末にでも、ナビに「ビール瓶のふたは開けられるようになったかい?」ってLINEしてみよう。