巻頭言

-西暦2000年を迎えるにあたって-

障害者の明日を考える会 
会長 菊池正光 

西暦2000年 新年あけましておめでとうございます。

1000年に一度という記念すべきミレニアムをこうして皆様とともに迎えられますことに、心から感謝申し上げたいと思います。
 さて、私たちの障害者の明日を考える会も おかげ様をもちまして今年で8年目を迎えようとしております。はじめのうちは手さぐりの状態で 気持ちと行動とがなかなか一致せずちぐはぐな時もあったかと思います。しかしながらそれらを繰り返すうちにもけして背のびはせず自分たちの身の丈にあった活動をして行こうという結論を得ました。つまり理論よりもまず実践が大事で現場に足を運び、自分の目で見、耳で聞き、手に触れてとにかく雰囲気を肌で感じ取ることが大事だと知りました。

たとえば障害者スポーツ施設 「横浜ラポール」の見学と体験、車椅子で鶴ヶ城天守閣に登った時の感動、三島町の森の校舎カタクリでのキャンプ体験、又市長さんを始め関係各課との懇談会にしろ普段の何気ない会話の中からヒントを得て企画行動に移されたものばかりです。
人から言われたのではなく自分たちの主体的な発想から行動に入っているのでみんなが自然に参加でき自分の意見を持つことが出来るのです。2000年の節目の年を迎えるにあたって、私たちは来る21世紀をどのように生きて行くべきか真剣に考えなければならないと重います。
狭くなった地球の環境を考え、地球市民としての自覚を持ちながら人間本来の生き方をそれこそ自分たちの身の丈に有った目線でとらえなければならないと思います。

私は、福祉は文化だと思います。そこには人間の本質が含まれているように思えるからです。人間、知恵がつきますとおぼれがちになりますが、人を思いやる心が生まれれば徳が高められます。そろそろ日本も自分のことばかり考えないで他人を思いやっていきることに気づくべきではないでしょうか……

「2000年 ミレニアムな私たちの抱負」

2000年の決意  菊池正光
昨年は熊本国体に参加でき、たち幅跳びと200メートルで 金・銀メダルをいただくことができ、本当にすばらしい年でした。今年も引き続いて 体力の維持に努め できればマラソンに挑戦したい。これらスポーツをベースに次の3つを決意しました。
(1)柔らかい心で受け入れる
(2)いま その時 その場所を 大切にする。
(3)1日に 3度は、腹の底から笑う はたして できますかなあ・・・
2000年という節目の新年にあたって  熊田洋子
今年は2000年という節目の年。神様が1000年に一度この地上に降りて世の人々をいやすとか?(少しは世の中良くなるのかな?)この記念すべき2000年を迎えての新年の抱負は・・・・2000年のお祭り騒ぎに振り回されることなく、自分の信念をしっかり持ち自分を見つめ直し、常に「平常心」を心に置き、人の和を大切にしていきたいと思います。 少しかたいことを書いてしまったかな? 今年も良い人振りはやめて、平常心 平常心 気楽に行こう〜っと よろしく!!
今年の抱負  小松光男
「まず実行、自分に負けない、もっと思いやりを持つ自分に」をテーマにまた1年 がんばるゾ〜♪
2000年に向かっての抱負 古市 薫
思い起こせば今から30年前、私は次第に視力が衰え、少々気が弱くなり、果たして2000年まで生きられるかと考えたこともありました。しかし今こうして健康で2000年を迎えることが出来ました。相田みつをの著書にある、「あれもこれも欲しがるな」、これをモットーにしてこれからの人生「第四楽章」に向かって生きて行きたいと思います。
今年の抱負 沢栗昭男
いよいよ2000年になりました。新たな気持ちでいろいろなことに挑戦してみたいです。昨年は会津でも盲人卓球教室が開催されましたが 今年は仲間を募り 定期的にやれたらいいと思っています。
明日を考える会で 背あぶり山ハイキング(登山?)もやってみたいです。
抱負                    倉沢信行
1999年はラッキーな年でした。2000年はこれを自分の力で維持して行きたいと思います。正式にケアマネージャーになりましたが、実務に就くにはまだ不安です。でも、皆さんが高齢者になるまでには、しっかりした技術を身につけておきますから、安心して歳を取ってくださいね。
今年の抱負                竹内宏典
1999年は、相変わらずの不況や、情けないニュースに囲まれて、なんとなくすごしてしまいました。(無事だっただけでも幸せといえばそうですが…・・)2000年は、今までの経験を何かの形にしたいと思います。「結果を出す」ことを強く意識して1年やってまいります。
今年の抱負                大竹京子
今年も主人共々、スポーツでいい汗を流し、お互い健康には十分気を付け(お酒は控えめにしてもらい。自分にもいえることかな?)笑ってすごせるようないい年にしたいと思います。今年こそは、貧血と金欠になりませんように……・
今年の抱負                吉田千恵子
1999年後半はちょっと私自身のことでスポーツもあまり参加できず残念でした。2000年は元気でがんばりたいと思ってます。今年も昨年同様会員の皆さんと楽しく旅行に行ったり、また新しいスポーツもやってみたいです。
2000年がどうか何事もなくよい年でありますようにと祈らずにはおられません。
2000年の抱負              玉川 晃
新年あけましておめでとうございます。いよいよ2000年突入ですネ。今年はとにかく走り込みを多く行ない10kmのマラソン大会に参加しよう!!と思います。そして多くの出会いも楽しみにしています。 今年も皆様よろしくお願いいたします。
2000年の抱負              五十嵐保雄
                       牧子
2000年の抱負といっても、特別なものは有りませんが、やはり健康ですごせることが一番です。のんびりできる時間を作って、ストレスを溜めない生活を心がけたいと思います。
“きずな”  斎藤 君子
私にとって2000年って何の事かしら。考えてみても別にこれといって何にも関係がないような気がします。
新しい年を迎え正月そして2月3月と、月日が流れて行くだけのこと。毎日忙しさに追われ加齢して行くだけ、私ウン0歳にもなってしまいました。振り返って反省してみると自分から行動して歩まないと本当に何も起こらないし、又やって来ないような気がします。日常生活の中で「あたりまえ」と思い済まして生活しているところに何か大切なことが有るような気がして。それが「絆」という言葉です。人間が生活して行く中で、それぞれが助け合って当たり前の生活の中にお互いの立場や役割を果たすことが大切だと思います。お互いの長所短所えお認め合い、足りないところは補い支えあって行くことが大切なことなのですが なかなか理想通りには行かないものです。お互いに努力し信頼しあって行くのが「絆」だと思います。その「絆」って、大切にしないとすぐにこわれて消えてしまいそうな気がします。それで今年はこの「絆」とゆう言葉を考え、明るい方向に歩んで行きたいと思います。(でも困難なことですね)
今年の抱負               鈴木 公
(2000年 夢工場としてその夢を作り上げていくのが考える会です。 忘れてならないのがひとりの作業員として、小さいことでいい・・。こつこつと工作し そして、その思いを皆に話することにあると思うのです。 
 それはどんな事でもいい・・・・・。それが 全ての 始まりではないかと思うのです。)
新年の抱負               独古 啓子
健康に注意しながら平穏に暮らしたい。
新年の抱負               磯貝 晃司
新しい気持ちで2000年を頑張ります 若さで何ごともチャレンジ
新年の抱負               斎藤 記子
手まめ・足まめ・口まめで人脈づくり
新年の抱負               吉田 敏喜
こんにちは 平成12年1月8日
暮れに、来年の抱負をひと言書いてほしいと電話があった。書かない内に年があけ、催促があったのでひと言・・
 年はあっといううちに終わってしまう今年は情報化の時代にのって正しい情報を少しでも早く、また内容も政治・文化・環境等の情報を・・・長くなるので、これで終わり。
2000年の抱負             渡部 秀行
2000年だから今までの事が過去になってしまうのか・・・
2000年だから新しいことが始まるのか・・・
2000年ただの通過点であり、未来から振り返る「目印」でしかないのだ。
 だから、今継続していることに、今年は「目印」を刻めるような年にしたい。

 お宅拝見             福島さんのお城

 若松市から車で走ること40分、回りは田んぼ・畑また田んぼと言ったのどかな田園風景の続くところ……バリアフリーの家を訪ねて、思えば遠くへ来たもんだ。
 好きとはいえ!! 今回は、女性の城を訪ねてみた。
 母屋と同じ敷地内に自分の城を持った「純子ちゃん」は、突然来訪の私達を快く迎えてくれた。2台分はいる車庫の奥にその玄関があった。戸を開けると正面廊下を挟んだ向こう側にキッチンがある、ここは30cmぐらいの段差がある。(雪が積もるために必要な高さ)
 私達は左手の緩やかなスロープを通り8畳ぐらいの仕事場兼遊び場かな???(壁際に2間長さの棚風の机があり車椅子で仕事がし易くなっていた)を見せていただき、その隣の可愛らしいキッチンでお茶をいただいた。 楕円形の白木のテーブルがキッチンの作業台?についている、もちろん流し台の下は空間になっており車椅子に乗って膝まですっぽりと入り、水仕事もし易い高さに仕上がっていた。それではそろそろベッドルームの拝見といくかなー……
(ここは ひ・み・つ)
 トイレ・風呂場はと……5畳ぐらいのワンルームに洗面台・トイレそしてお風呂とある、
もちろん、おふろ場は40cmの段差があり車椅子からの乗り降りが容易にできるように作られていた。身体の洗い場と湯船は、ほぼ平ら、シャワーもタオルかけも自分の一番使いやすい位置に付けてもらったとか (なるほどねー)色は女性らしく淡いピンク。福島さんは次に洗濯物干し場へと案内してくれた ベランダを囲い大きな窓を付けたとかそこには季節はずれの扇風機がおいてあった。扇風機の風で湿気をとばすために。
(そのとうり、冬でも使い道はある)
 福島さんは、車椅子のままの生活なので、さすがどこも段差がなく移動しやすい造りになっていた。すべてにおいて、お金をかけた見てくれだけの設備ではなく、キッチンセットひとつとっても、棚風の机にしても使いやすく機能性に優れた造りになっていた。

<彼女に聞いてみた>
Q 別の場所に部屋を作ったのは自立が目的?
A 否、親元から放れるのが自立とは考えていない。ただ、今までの部屋から車庫まで距離が
  あったので、雪や雨風のときとても不便だったから、思い切って夢を叶えたの
 (彼女の夢は雪や雨に濡れないで車に乗ること)
Q 廊下の手すりはわかるが戸やドアの手すりは?
A 廊下の手すりはね、お掃除の時に使うの
Q ??????
A ほら!こうして右手にモップでしょ 左手は手すりをもつの、車椅子を移動するのに
  この方がとても楽なの戸やドアの手すりは開閉に楽でしょ!
  (と彼女はやって見せた。とても笑顔がチャーミング)
  家から放れて生活するのが自立ではないと考える彼女は、家庭のなかでの自分の位置を
  しっかりと持っており、父なき後の家族を支えている。
  あっ忘れるところだった 家は平屋で外壁は落ち着いたブルーグレー内部は淡いピンクと
  白を基調としたものでした。彼女の可愛らしさがそのままの家でした。

おじゃましました。

<街角ウォッチング>

JR会津若松駅にエレベーターが出来たというので、大竹京子ちゃんと一緒に行ってみた。
 駅の方にその旨を伝えたところ、副駅長さんが快く案内して下さった。エレベーターの場所は、1番ホームの階段の裏側(北側)に位置していた。早速乗り込み2階へと……
ドアも障害者対応でゆっくりと開閉し音声案内付き、スイッチにも点字がついていた。エレベーターの内部はあまり広くなく車椅子の方1人とあと二人が限度かなと言ったところでしょうか。入口と出口が別で前と後ろにドアがある「向きを変えずにそのままの向きで下りて下さい」とのアナウンスのままに外へとでた。そこは1番ホームの階段を上った向かい側に位置していた。そして右へ曲がり歩いていくと右側に2番・3番ホームへの階段、左側ににエレベーターの乗り場がある。
副駅長さんは、これで車椅子の方が、1番ホームから2番3番ホームへは行くことが出来る用になったが、4・5番ホームへは立地条件が悪くエレベーターの設置が出来ないとすまなそうに話して下さった。しかしそのあとで「今年度3月までには、何とかしなければ」と言われたその言葉に自信が溢れていたように見受けられた。乞うご期待かな!?
すこしづつだけれども駅や町が優しく変わっていくのはとてもうれしいことです、ありがとうございました。
* エレベーターへ行くには階段に向かって左側のホームを歩くよりも右側の建物と階段の間を歩いた方がより安全かな…… 又わかりやすいかもしれない。

 夢色あいづ野 2000年          鈴木 公


うす紫の花びらが
月見草(つきみ)の湯川に 揺れるように
いつも私は 夢おんな
結婚なんて 言わないけども
せめて 一緒に暮らしたい

ここは会津 東山
17歳の姫のよに
死んで あなたを忘れましょうか

白い季節が 水色の
陽光(ひかり)に淡く とけこんで
こごえた心 赤いブーツが
あなたのそばで 踊ります
きれいな女にはなれないけれども
せめて かわいい女には
  
ここは会津 愛の町
カスミ草(かすみ)の雪に 山茶花(さざんか)添えて
ウイデングベルを鳴らします
 
ここは会津 祈りの町
一千年の 歴史の夢が
私に春を 奏でます 

 編集後記

果たして、「空から悪魔の大王が降りてきたのか、来ないのか」解らぬまま2000年を迎えてしまった ! !
幼い頃、多くのアニメで育ったせいか、2000年には手塚 治の「鉄腕アトム」に出てくるような未来都市が現れているんだろうなぁ〜。それが未来なんだろうなぁ〜 と思い続けていた。
幼い頃、未来の夢や想いを抱いていた少年・少女は今、国や社会の大黒柱となって未来を築きいているのだ・・
2000年・・幼き頃を振り返り、また先の未来を見つめる、旅の途中下車駅である。
あぁ〜 また明日も仕事だょ〜 温泉に入って旅の疲れを癒したいなぁ・・
編集委員 渡部 熊田 竹内