画期的テレビ技術

電気製品で暮らしに変化を与えた代表はテレビ

娯楽と情報を提供、戦後、飛躍的に普及した。

  1953年のテレビ放送に合わせて造られた初期型


 テレビの画面に浮かぶ「イ」の文字。1927年(昭和2)年、電子工学者であった高柳健次郎氏が、初の映像の送受信に成功、日本のテレビ技術が
誕生した瞬間だった。

12年後の1939年にはNHKが無線による実験放送を公開した。1939年には、国産の受像機が完成した。
走査線441本(現在は525本)、毎秒25コマの能力を持つものだった。1953年にNHKと日本テレビが本格的な放送を開始し、テレビは急速な発達を遂げる。
 当時、テレビ受像機は11万円から14万円と大変高価で、当時の男子大卒初任給が約1万円であり、放送時間も1日約4時間で、視聴者は少なかった。
 この時、目抜き通りに設置された「街頭テレビ」が、当時関心の薄かった人々の目をテレビに向けさせるという役割を果たした。力道山が活躍するプロレス中継などは、大勢の人々の目をくぎずけにし、テレビのすばらしさを印象づけた。
 1960年にはNHKや日本テレビなど民放4局がカラーテレビの本放送を開始したことに伴い、1962は、受信契約数1000万を突破した。
 64年に開催された「東京オリンピック」も、普及に拍車をかけた。その1年前の63年11月には、初の衛星中継がアメリカから送られたきたが、たまたまJFケネディ大統領の暗殺報道と重なり、大きなインパクトを与えた。
 「イ」という文字が、受像機に映し出されてから73年、いまテレビは衛星放送が普及、デジタル放送もスタートし、新しい時代を迎えようとしている。

上の写真は、現代のテレビの中です、故障個所を見つけるのがたいへんです。

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